卒業生の大学受験体験記
はじめに
英進科では、毎年卒業生に受験体験記の寄稿を依頼しています。執筆に当たっては、「素直な思いを自由に書いて良いが、後輩のためにという意識を持って書いてほしい」とお願いしています。従ってこの体験記は、通常本校英進科の在校生にのみ配布しているものです。
今回、HP掲載に合わせて、受験体験記を再編集しました。英進科を正しく理解してもらうには、卒業生がどういう高校生活を送りどのように受験に立ち向かっていったのかという生の声を聞いてもらうのが、一番だと信じたからです。
出身中学校と進学先の大学名のみで生徒名は伏せてありますが、自分の内面を赤裸々に吐露したものや淡々と自分の経験を述べたものなど、それぞれに高校3年間の熱い思いが綴られています。
県立高不合格となり失意の中から立ち直って、最終的には東京大学に現役合格した生徒の話、入試成績300点程度、合否ラインギリギリで英進科に入学しながら、3年後国立大学の医学部に合格した生徒の話、常識では考えられないような出来事が英進科では現実に起こっています。
後輩のためにと誠心誠意書かれたこの受験体験記は、中学生の皆さんにとってはまだまだ先の話に感じられるでしょうが、卒業生一人ひとりの感動的なドラマの数々は、必ずや皆さんの胸に響いてくれるものと信じています。
寄せられた受験体験記の中には、10,000字をはるかに超えるような大作もありました。各教科の勉強法や注意点、挫折しそうになった時の対処法など、我々教師にとっても参考になる貴重な情報が満載でしたが、再編集に当たり、紙面の都合上一部を省略させていただきました。
山梨大学 医学部 医学科 現役合格 | 星が丘中学校出身 |
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東京大学 文科一類 現役合格 | 陽北中学校 |
京都大学 工学部 現役合格 | 星が丘中学校出身 |
一橋大学 法学部 現役合格 | 塩谷中学校出身 |
東京外国語大学 外国語学部 現役合格 | 陽西中学校出身 |
東京大学 理科一類 現役合格 | 陽北中学校出身 |
東北大学 農学部 現役合格 | 陽西中学校出身 |
山梨大学 医学部 医学科
はじめに
私は文星での3年間を非常に有意義に過ごすことができました。高校受験のときにやっと300点取れるくらいの学力しかなかった自分が現役で医学部に合格できたのは文星の先生方、友人、そして家族の支えのおかげだと思います。本当にありがとうございました。
これから勉強をするようになった経緯、中学時代、文星での3年間について後輩のために少しでも役立てればと思い書きたいと思います。
中学時代、部活をやるためだけの生活をしていたと思います。朝練を気合入れてやり、授業中に寝て体力回復、そして放課後の部活とその後のクラブに備える、という感じです。もちろん授業でなにをやっているかなど全くわからず、どんどん勉強がきらいになっていきました。勉強なんて「ダサい」とさえかってに思ってしまっていたと思います。結局受験前も勉強をほとんどやらず担任の先生にすすめられた文星に幸運にも合格できたのでそこでいっかという感じでした。それだけ勉強に対する意識は低かったです。
それがなぜ勉強をする気になったかというと、春休みにこのままではダメだという思いでいたときに、友達の家にあった「ドラゴン桜」という漫画を偶然読み、私自身が漫画やドラマの影響を受けやすく、HEROというドラマを見ては検事になろうと思ってしまうような単純な性格だったため、主人公が1年で東大に行けるなら自分には3年あるんだから余裕じゃん、じゃあどうせ勉強するなら一番のとこにしようという感じです。でもそのおかげで最初から諦めるようなことをせずにすんだと思います。なのでとにかくどんな難しいとこでも絶対に受かると思い勉強することがまず大事だと思います。
1年のときはとにかく言われたことだけでもこなそうという思いで予習・復習に力をいれました。特に英語。単語が全くわからない。be動詞って何、という状態だったので、けど朝ゼミはどうしても起きられず挫折しました。
国語はあまりやりませんでした、なんとなくできそうだからという勘違いのおかげで、そのせいでクラス替えのとき補習をうけなければならないくらいでした。
こんな状態でも思い込みのおかげでやはり東大にはいけるだろうと勝手に思っていました。
2年のときは雪野先生に頼みクラスをかえてもらいました。最初はついていくことに必死でしたが、多少余裕ができると次第に気が緩みうまく勉強ができなくなりました。この頃から受験科目というものに意識がいき、自分に関係ないと思われる教科(とくに世界史)を捨てるという間違いをするようになりました。捨て教科をつくっても他教科の勉強時間が増えるわけでもなく、それどころかゲームに費やす時間が増え、全体の勉強時間が減り成績は思うように伸びなくなっていたと思います。牧島先生との面談などをし、なんとか捨て教科をなくすよう意識するようになりましたが、この間の授業を無駄にしてしまったことは唯一後悔です。捨て教科をひとつつくってもたいして勉強時間には変わりはないと思います。勘違いしていた自分が言っても説得力はないかもしれませんが、全教科頑張り総合力をつけることが最後の最後で役立つのだと思いました。
冬休みあたりからは毎日研修センターに朝から晩まで残り勉強するようになりました。ひとりで勉強するのは得意ではなかったので、研修センターは自分にとっては良い環境でした。利用したことがない人は一度でも行くといいと思います。周りのひとが勉強しているのを見ると焦りが出ると思います。
そうして3年、新しくクラスがかわりよりいっそう勉強にたいして真剣になりました。それでも判定は常にE,Dでしたが、絶対に自分は大丈夫だと思い勉強を続けました。
次第にセンター模試の結果も良くなっていき、毎回自分が勉強していることが身についてる実感があり充実していました。
ただ地理が抜群にできず、どこから手をつけていいか、教科書をやるようにアドバイスされても量が多すぎて手が回らない。そんな状態でいるとき、牧島先生に「ここまできたら地理は仕方ない。授業だけでも聞きな、全体でみたら差はほとんどつかない」と言われ吹っ切れ、他教科でのミスをなくすような勉強をするようになりました。
センター前は東大の赤本(主に数学、すこし英語)とセンター用問題集をやっていました。
センター前は緊張はほとんどしていませんでしたが、当日はミスできないという恐怖からか緊張で手が震えました。
センター後はひたすら赤本、友達とひとつの問題を考え意見をだしたりしてとても楽しかったし、よく進みました。けどこの頃はこれまで絶対大丈夫だと思っていたにもかかわらず、落ちる不安で夜眠れないときもありました。
受験について
・慶應大学
東大の過去問が終わりそうもない不安から過去問をやらずに受けてしまいました。結果は撃沈、落ちたとすぐわかりました。それでもすぐきりかえました。
・東京大学
やる予定だったものがすべて終わらず不安もありましたが、自分が勉強してきたことを信じて受けようと思いました。1日目、朝早くにいき門のすぐそばに並びました。おかげで大量の受験生を見て緊張することはなかったです。門には予備校の先生などがたくさんいたり、変な人(おそらく東大生)が寝袋に入った状態で門のところに寝ていて、急に起き上がり予想問題を配ったりしていました。奇妙な人でした。
1日目が終わり旅館では気持ちを切らさないように理科の確認をしていました。
二日間やるだけやったとは思いましたが、数学では間違いを見つけ目標にぜんぜんとどかないと思い、一瞬絶望しました。が無理だと思いすぐに後期にきりかえました。
3月10日結果は不合格でした。
・山梨大学医学部
前期の後すぐに過去問を解きはじめました。すると東大の過去問をやっていたおかげですごく易しい問題に感じられました。特に、得意な物理化学数学で受けられるのが大きかったと思います。
試験前日は車で行く途中に地震が起こり、山梨に着いたあとに延期だと知らされ、とても大変でした。それでも気持ちを切らさずに試験日まで勉強できたのは良かったと思います。
試験当日は完全にふっきれ、落ちても1年浪人するだけだ、精一杯やろうという感じでした。
私が受験でうまくいったと思うのは気持ちのきりかえです。私の場合は半ば開き直りでしたがそれでも良かったと思います。
受験は本当に気持ちの勝負だとおもいます。常に不安だし。でもみんなそうだろうなんて思ったりするとだいぶラクになると思います。3年のときは特に不安だと思いますが頑張ってください。
最後に、1年のときの雪野先生、2・3年のときの梶川先生。また東大の国語を指導して下さった竹内先生、隅内先生、わざわざ自分の面接のために細かく指導してくださった牧島先生。物理の増田先生、数学の石川先生、英語の野口先生、古内先生、染野先生、名前を挙げられない英進科の先生方。本当に3年間お世話になりました。勉強だけではなく人間として多少は成長できたと思います。文星での3年間を生かして大学でも精一杯がんばります。
東京大学 文科一類
文星への恩返しだと思って書きました。ぜひ、これからの生活の参考にしてください。
担任の竹内先生はなぜ僕が3年間集中して勉強できたのか不思議がっていらっしゃいました。その理由として、もちろん勉強することで知識が深まるのが実感できたこともありますが、それ以上に中学時代の生活への後悔のほうが大きかったと僕は思います。中学時代の僕は怠惰そのものでした。勉強・部活動ともに失敗を恐れて半端に終わり、交友関係に苦しみ、お世話になった先生にも迷惑をかけてしまいました。僕は自信を喪失し、プライドを失いました。だから、僕はプライドを取り戻すため、高校に入ったら青春のようなものは捨てて何か一つのことに集中しようと決意したのです。中学3年の夏、僕は親の友人に紹介され、文星のオープンキャンパスに行きました。僕は牧島先生や古内先生の熱意や理念と、勉強に集中して取り組める環境がそろっている文星に魅かれ、入学を決意しました。
高校1年生のとき
勉強時間は平日1時間、休日は県立図書館で8時間です。
当時の僕は大学受験についてある信念をもっていました。それは、「落ちる原因さえ消せば、必ず合格できる」というものです。具体的に言うと、集中して勉強できる時間をできるだけ多くとり、苦手科目が出てきたら早期に手をうつことです。さて、皆さんはここまで読んである疑問を抱いたでしょう。平日1時間、休日8時間しか勉強していないじゃないか、と。確かに勉強時間は少ないです。それは、当時の僕がこれだけやれば十分だろうと思って怠け心に負けたからなのです。
勉強時間は、平日は研修センターで2時間、休日は東図書館で10時間です。
僕は1年の3学期のときから自宅で勉強に集中できず、このままではダメだと思っていました。そのとき、友人の一人が学校の研修センターの食堂で夜に勉強していると聞きました。
高校2年生2学期のとき
10月に僕はある程度の自信をもって進研模試に挑みましたが、数学は惨敗でした。あれだけやってもダメなのかと、ショックはとても大きく将来に全く希望をもてなくなりました。
高校2年生3学期のとき
集中的に勉強して半年後、ようやく数学の点数が伸びてきました。
高校3年生1学期のとき
勉強時間は、平日は自宅で2~3時間、休日は東図書館や自宅で14~15時間です。
4月24日、僕は新聞を読んで衝撃を受けました。フィリピンで少女がゲリラ軍と国軍との争いに巻きこまれて射殺された、という内容でした。フィリピンではこの種の事故が多発していて、すでに50人以上の子どもが殺されたそうです。僕は、世界にはまだ政情不安定で苦しんでいる人々が多く、今まで自分がいかに平和な環境にいたかを痛感しました。そのとき、僕は大学で政治学を学んで現状を改善しようと決意しました。
僕は下野新聞社やTBSの取材の時、1年生のころから東大1本と言っていましたが、それはドラゴン桜と結びつけるために言っていただけで(確かにあこがれは抱いていましたが)、個人的にはそのような考え方は良くないと思います。僕はそれよりも法学部1本とか工学部1本という考え方をしてほしいのです。「どの学部でもいいから○○大学にいく。そこ以外には行かない」と言う人もいますが、その人は大学はスタートであってゴールではないということをわかっていない人です。ある程度のレベル以上だったら、本人の努力次第でいくらでも可能性は広がると僕は思います。だから、みなさんも特定の大学ではなく特定の学部にこだわって大学選びをしてほしいと思います。
高校3年生夏休みのとき
勉強時間は、研修センターで12時間、自宅で3時間です。
*ついでに、定期テストでの目標平均点も紹介します。これも目安にすぎませんが、定期テストを全力で取り組むことの大切さは感じてほしいと思います。
90点以下―怠慢 90点以上―標準 95点以上―目標(未達成)
このころから少しずつ東大の過去問を解き始めましたが、難問の連続でした。このとき自分でも驚くほどにやる気が失せました。ポジティブに考えると、ここまで努力してきたから大丈夫だろうと考え、ネガティブに考えると、もういくらやってもムダだと考えていました。混じるハズのない対極的な考え方がどちらも僕を怠惰な方向へ導いたのは衝撃的でした。僕はどのように考えてモチベーションを上げたらいいのかわからず、結局修正できないまま冬休みを迎えました。
高校3年生冬休みのとき
2次試験対策は一時中断してセンター試験対策に集中することにしました。まずは2学期に習ったことの総復習をして、その後今までやってきた単語帳や問題集の復習をしました。次に有名予備校出版のセンター用の実践(予想)問題集をこなして独特の問題形式に慣れようとしました。
東大入試
実際に東大に着くと、受験者は(外見は)普通の人ばかりでした。今考えてみると、東大生は幼い頃から英才教育を受けてきたバケモノである、というイメージは怠け心が自分に非がないようにでっちあげたものだったのでしょう。さて、教室に入るとさすがに緊張してきました。しかし、僕は幾度となく試験を受けてきて自分の実力をフルに出せるように感情をコントロールする技術も手に入れており、3年間勉強してきたんだという自信もあったので、いざ試験が始まると落ち着いて試験に臨めました。
学習法について
教科書を中心とすること。授業を集中して聞くこと。先生のアドバイスには謙虚に耳を傾けること。予習・復習をしっかりやること。図表を活用したり音読をするなど五感を使った勉強を心がけること。学校で配られた問題集を完璧にこなすまでは他の問題集に手を出さないこと。(どうしても相性がよくないと思ったら先生に相談して下さい。)成果がなかなか出ないときは先生のアドバイスをもとに勉強法を変えてみたり、友達の勉強法を参考にしたりするなどして粘り強く努力し続けること。(粘り強く勉強することとある勉強法に固執することは違います。ある程度の柔軟性を持つようにして下さい。)
京都大学 工学部
私の高校三年間の生活を正直に、後輩の参考になることを願い書いておきます。
1年
私は宇都宮高校に不合格になり少しコンプレックスを持ちながらこの文星に入学しました。部活にも入らず、放課後の自主学習があるなど、勉強にまだ身が入っていなかった私にとっては地獄の日々の始まりでした。授業が始まり、最初の世界史の授業での進むスピードに圧倒され、これが高校か、と思ったのを覚えています。予習復習の大切さを全く理解していない時期でしたので、世界史のわからないところはわからないままにしてしまいました。理系科目は比較的好きだったこともあり一応勉強はしていました。といっても気が向いたときだけというほんとに受験生としてはしょうもない精神状態でした。たまに放課後の自主学習時間を抜け出すこともありました。しかし、少数人数制ということもあり、担任の竹内先生が頻繁に面談をしてくれたりしていたのでなんとか学校にとどまることは出来ていました。成績に関しては、最初はよかったのですが下降傾向にありました。1年次は授業の予習復習の確立がしっかりできればいいと思います。
2年
2年の1学期の終わりごろ、特別なきっかけは無いのですがそろそろかなと思い勉強に身を入れ出しました。全体的に勉強に遅れが出ていたのですが、不思議とそれほど焦りは感じませんでした。それはそれでまずいのですが、とにかく先生についていけばいいという信頼があったからだと思います。特にこのことは化学の江田先生との間に当てはまると思います。無機の授業を全く聞いていなかった私は江田先生と相談して、朝を利用してノートにまとめることにしました。それを毎朝先生にだしました。分からないことがあったらノートにそのことを書いておくと答えてくれました。分からないところが毎朝つぶれていく。これは大きかったです。物理に関しては最初に先生にいわれた通りに教科書の内容をノートに要約することを予習としてやりました。物理も化学も慣れが重要な科目だと思います。物理はこの予習と夏休みに繰り返したリードαで慣れていき自信もついた覚えがあります。問題演習は自信をつける上でも重要なので積極的にやってもらいたいです。それと、物理は派生した公式は証明方法を記憶することが非常に有効です。記憶といっても丸暗記ではなく、しっかりと理論立てをして導けるようにしてください。英語は授業の予習復習はあたりまえとして、先生に紹介してもらう速読英単語をしっかりやるといいと思います。私はこれを怠ってしまい非常に後悔しています。数学は1、2年の時は4STEPをメインに。余裕がある人はチャートをやるといいと思います。地理は教科書、資料集、地図帳、ノートなどを同時に使って関連づけることが重要だと思います。2年の地理の授業の初めに言われたのですが、ノートに先生の言うことをメモすることはとても重要です。どれだけメモ出来ているかが、成績にじかに関係してきます。なぜなら復習の質がまるっきり変わるからです。これは1年の時からはじめられたらすごく良いと思います。
3年
3年の勉強方法は基本的には2年の時と同じです。しかし、演習がメインになってきます。ここで注意していただきたいのは、ただ演習をやればよいということではないということです。分からない問題があったら、時には教科書、ノートに戻ることが必要です。ここはしっかり意識して欲しいです。
最後に
私が自信をもって他の人より優れていたと言える事は『メモ力』です。授業に関係ないことだって何でも興味のあることはメモしました。復習の強化に繋がるので是非実践してください。それと小さなことですが、その日の自主学習時間の予定を小さな紙に書いてしっかりとこなしました。これは先輩のお話から学んだことなのですが計画的にやるのが苦手な私にとって結構重要でした。
試験を受けた時の心境などは去年の受験体験記で十分だということなので省略させていただきます。
一橋大学 法学部
私がこの三年間を振り返ってみると、家にいた時間よりも学校にいた時間の方が長かったと思います。私はほぼ毎日、研修センターに残って自習していました。先生方が研修センターを開けてくださらなかったら、私の学習時間はもっと少なかったでしょう。はっきり述べますと、私は家では学習できないたちでした。(1、2年生の頃は、9時まで学校で勉強した後は、家に帰り、テレビゲームをしてしまっていました。)しかも、最悪な場合は研修センターでも時間ばかり気にしてそこまで勉強に身が入っていなかったこともありました。
私がぶつかってきた壁を参考にしてみてください。
予習復習
数学が苦手だったために私はすべての教科に対して十分な予習復習は出来ていませんでした。予習復習は完璧にこなそうとすると難しい。私は予習の部分を大きく削るはめになりました。数学以外の教科では教科書をめくる程度の予習でした。時にはそれすら無かったときもありました。英進科の先生方の授業はとても信頼できるものなので、授業の内容を復習で吟味する。これだけで受験力は十分付くと思っています。予習を削った分だけ、苦手教科の対策をしてください。私は家で学習が出来る性格ではなかったので、研修センターに残って勉強していました。この施設で復習を大いにできたことが合格へとつながったのだと思います。この場を借りて、研修センターを開いてくださった先生方ありがとうございました。
予習復習を減らす
実は私は生物はほとんど予習復習しませんでした。予習や復習なしで勉強をすることも可能です。この手段は人それぞれ適性があるので、保証できません。私も生物と現代社会くらいにしか適用できなかったメソッドです。皆さんの多くが高校で学ぶ勉強に対して、「どうせ、受験でしか使わない」というイメージを持っていると思います。私にもこの意識はぬぐいきれませんでした。これが予習復習を強いる最大の原因だと思います。勉強が日常に繋がるか、勉強が好きになれば簡単に覚えられます。「役に立つこと」イコール勉強となれば予習復習はそこまで必要になりません。
好きになる方法として、「友達と競う」というのもいいと思います。「一番である!」これはホントに自信がつきますし、一番を維持するために勉強も出来ると思います。さらに皆が上昇志向で競い合えば、実力もつきますし、一番でなくとも高得点を取れれば、苦手意識は自然と薄れるとも思っています。
私立大学一般入試
私立大学と国公立大学は必要とされる知識の形態が違っています。恐らく国公立大学には教科書を基本とした知識をより発展させる能力(狭いが深い思考力)が必要とされるのに対して、私立大学には教科書を超えた範囲の幅広い知識(語彙や用語)を備える能力(広いが浅い知識)が必要とされている、と考えています。私立の対策は基礎が付いたと思ったときにやり始めるのが良いのかも知れません。
早稲田大学の時は英語で本当に知らない単語だらけで大変でした。内容にも興味がもてませんでした。さらには、傾向が変わって第一問も第二問も段落ごとの要約に変わってしまい、試験中は受からないと感じられました。第二問目はもう面読み状態でした。第三問目の記述は文章を練る時間もありませんでした。国語と世界史はそこそこ出来たのですが、今でも早稲田大学の合格は不思議に思えます。
慶応大学の時は、英語も世界史も手ごたえを感じ、小論文も自分なりには上出来で、時間も余ったほどでしたが、結局は不合格でした。
このような壁にぶち当たりながらも三年間を過ごしました。皆さんの中には、はっきりと将来の展望が決まっている人もまだ全然決まっていない人もいるでしょう。
決まっている人は自然と頑張れると思います。決まっていない人やぼんやりとしか展望が決まってない人も努力してください。卒業さえできればいい、じゃダメです。文星の英進科に来ている意味がなくなってしまいます。遊びたいときもあるでしょうが、そんな時は自分が何のために今まで勉強してきたのかを思い出してください。卒業した頃になって後悔するかもしれません。ただ卒業するだけだったら文星でなくとも選択肢はあったはずです。
一つでも選択肢を増やすために、努力は惜しまないでください。あなた方の合格を祈っております。
東京外国語大学 外国語学部
これから初めての大学受験を迎える後輩のみなさんのために、私の受験体験を交えながら、アドバイスします。それぞれの今の状況と照らし合わせて、受験本番までに自分がすべきことをイメージしていただけたら幸いです。文星英進科の先輩として、みなさんの成功を楽しみにしています。
苦手のあれこれ
・苦手は克服できる
入学当初、私は国語が大の苦手でした。問題を読んでも意味が分からない。どうも自分にはセンスがないようだと思って落ち込みました。しかし、受験前までには、国語がどんどん好きになっていました。どうしてそうなったのか説明します。まず私は、すぐに先生に国語が苦手なことを相談しました。そこで、日常的に本を読むようにアドバイスを受けました。進んで本を読むことなどなかった私には、かなり抵抗感がありました。それでも、高校に入ったばかりでしたから、「とにかく何かしたい!」という気持ちで、手当たりしだい、本を読み始めました。最初に読んだのが、川端康成の『伊豆の踊子』だったことをよく覚えています。普段本を読んでいないと、言葉の意味が分からなくて悔しい。だから、分からない言葉に出会ったら、その都度辞書を引き、一つ残さずつぶしていくことにしました。最初は本を読む時間より、辞書を眺めている時間のほうが、長かったです。それでも、自分のボキャブラリーが、日に日に増えていくのは楽しいものでした。そのうち私は、本だけでなく、日常の生活の中で気になった言葉は、すぐ調べるような癖ができました。これはのちに、英語の上達にも非常に役に立ったのだと思います。本を読むのが好きになると、文章をみて嫌気がさすようなことはなくなりました。それから、授業は積極的に発表、質問をするよう心がけました。自分の意見を明確にして、間違いを気にせず発言しました。訂正されれば、何が悪かったのか強く印象に残る。合っていれば、それは自信になる。いずれにせよ、思考を活発にすることで、国語的な感覚が自然に身についていきました。
良き師、良き友、長時間
・先生をフル活用する
大学での友達に、それぞれの高校時代の話を聞いていると、自分がいかに良い環境で勉強していたのかを痛感します。文星の先生陣の質は本当に素晴らしいです。そんな先生方から学べるということは、皆さんの誇りとなるでしょう。しかし、生徒自身が何もしなければ、意味がありません。出された課題をこなすだけ、という受け身の姿勢ではなく、皆さんから先生にアプローチしてください。私の場合、初めのうちはちょっとした質問をする程度でした。そして基礎が分かってくると、せっかくならレベルの高い質問をしようと意識するようになりました。先生と議論できるようなときがあると、また楽しいです。さらに、予期していない+αのことまで教えていただけることも、多くありました。質問だけではなく進路相談も、まめにすると良いと思います。受験期には必然的に進路相談を受けることになりますが、ぜひもっと前の段階で、一度相談してみてください。これは後半で触れる自分の夢について考えることにもつながります。先生方は大学受験のプロです。だから、皆さんは大船に乗ったつもりで、先生方のアドバイスを素直に聞くことができます。
・よきライバルを持つ
ここでいうライバルとは、打ち負かしてやろうという対象ではなく、互いに切磋琢磨していく仲間のことです。私は、やる気が出なかったり、勉強で行き詰ったりした時には、よく彼らのことを考えていました。世界史の年代をすらすら言える人、休み時間にも黙々と勉強できる人、数学がとてもできる人。皆それぞれに良いところを持っていました。初めはもちろん、自分ができないことを悔しいと思いました。しかし、それ以上にどうして彼らはうまくいっているのか考えるようにしました。直接話してコツを聞いたり、アドバイスをもらったりして、スキルをどんどん自分のものにしました。また、お互いに質問、議論することも有意義です。そして何より、受験間近になってくると、悩みの相談相手となってくれました。先生と話すより、気軽なこともあります。学校に来て、仲間と一緒に高めあっていく意味がここにあると思います。私は、最高の仲間に出会えてうれしかったです。
・繰り返しの大切さ
すべての勉強には基礎が大切だと何度も述べましたが、その基礎の勉強というのは大抵、単純に暗記する作業が中心となります。そこで必要となるのは、繰り返しの学習です。もうご存知かと思いますが、例えば問題集なら、何冊もこなそうとしないで、1冊だけを完璧になるまで解き続けるということです。私は実際、速読英単語シリーズを10回以上はやり直しましたし、世界史の教科書は、読みながら重要単語の書き取りを3回、通読を5回しました(世界史は特に暗記が重要です)。しかし、繰り返し学習には、相当の時間がかかります。これは避けられないことですし、むしろ時間をかけてやるべきことです。だからこそ、スタートをおろそかにしないでほしい。あわてて始めた時には、もう時間はほとんどないのです。繰り返し学習のもう一つの問題は、途中で飽きがくることです。これに対して私は毎回、何かしら違う方法で勉強するよう心がけました。先ほどの例でいえば、速読英単語で2回目は赤シートを使ったり、3回目はオーバーラッピングの練習をしてみたり…という具合に進めました。世界史は某学習ゲームソフトも試してみました。
受験へ向けて
・夢を持つ
文星では、1年生の時から総合学習の時間を通して、自分の進路について考える機会があります。そのひとつに、職業調査がありました。私は当時、将来就きたいと思う職業がはっきりしていませんでした。正確に言うと、興味のある職業がありすぎて、どうしようもなくなっている状態でした。周りを見回せば、しっかりと夢を持っている人が多く、一人だけ置いていかれているような気持がしました。一生にかかわる問題を、そう簡単に決めることはできないというのが、その時の私の考えでした。結局、将来の夢は漠然としたまま、理系、文系の選択を迎えました。結果的に理系を選択したのですが、苦手な数学から逃げるのが嫌だったことが、一番の決定要因だったと思います。正直、夢があっても、なくても、変わりはないだろうと思っていました。しかしその考えは、間違いだったと受験直前期になって気がつきました。3年生になると、いよいよ大学受験に向けて、現実的な見通しを立てるときがやってきます。夢のなかった私はそのとき、自分は何のために大学に行くのか、何のために勉強しているのか、分からなくなってしまいました。すると、自然に勉強する気がなくなってしまうのです。そこで私は、課題に近い形の夢をなんとか設定してモチベーションを保ちました。しかし、もっと早く夢について考えておくべきだったことは確かです。
東京大学 理科一類
まず始めに、お世話になった英進科の先生方に心より感謝の意を表したいと思います。今後の英進科の指導の一助になることを願い、受験体験記を書かせていただきます。
高校に入学して驚いたことは、クラスの人の勤勉さでした。休み時間にクラスの人が黙々と勉強する様子を見て、高校は中学校とは異質な場所だと思いました。私も周りの人の真似をして、勉強するようになりました。
1年生の時に印象に残ったことは、卒業生の先輩の講演です。先輩は数学の話をしていると、とても活き活きします。高校1年生の私には夢中になれることがなかったので、先輩を羨ましく思いました。
高1で下した最も重大な決断は文理選択でした。当時は世界史が一番の得意科目だったので、私は文系を選択しようとしました。その後よく考えてみると、文系は国社英に特化するのに対して理系は国数理社英を幅広く学べることに気づきました。5教科をバランス良く学ぶには理系が良いと判断して理系を選択しました。
英進科は1年から2年に進級する際にクラス替えを行いません。1、2年のクラスのメンバーが同じなので、自然とクラスの緊張感が薄れてきます。実際に私が2年生の時、2年1組は秋から冬にかけてだらけてきました。私も少し気が緩みかけていたので、学力の衰えを心配しました。
高2の時の私は熱心な根性論信者だったので、睡眠時間さえ減らせば学力は伸びると思っていました。平日の睡眠時間は4、5時間前後になり、学校でもボーっとしてしまう時間が増えました。家でも居眠りする時間が増え、平日の自宅学習時間は実質1時間になってしまいました。たとえ勉強をやる気があっても、予習や復習をおろそかにしたり、効率の悪い勉強をしていては、学力は伸び悩みます。私は思いきって早寝早起を心がけたところ、勉強の効率が良くなりました。皆さんも生活習慣を整えましょう。
高2の冬休み以降は、国語、社会、理科を重点的に勉強しました。当時の私の考えは、教科書を理解していればよいというものだったので、数学や英語は軽視しがちでした。
国語の中でも特に和歌や漢詩に興じました。和歌や漢詩の専用ノートをつくり、常に身につけて音読していました。2年の後半は息抜きに和歌や漢詩を読むほど没頭し、数学や英語の勉強時間は減る一方でした。
高2の冬には政治経済に興味が湧いてきました。理系で世界史、地理、政治経済を勉強することは、受験常識的に考えても受験に不利になります。それでも政治経済を勉強したいと思いました。私は川俣先生に頼みこんで、特別に政治経済を勉強できることになりました。今でも政治経済を勉強したことは無駄ではなかったと思います。
高校3年生になってからも、数学と理科の成績は振るいませんでした。理数に不安を抱えたまま受けた河合塾の東大オープンでは数学が9点で最低評価のD判定を受けました。京都大や東北大の模試を受けた人達が良い判定をもらっていたので、絶望しました。「このままでは落ちる」と実感しました。D判定をとって数日後に、藁にも縋る気持ちで「数学は暗記だ」(和田英樹著)という本と「受験は要領」(和田英樹著)という本を読みました。私がこの2冊の本から学んだことは次の2つです。1つ目は「数学の問題は10~15分考えてわからなかったら解答を熟読して、もう1度自分で解き直す。手ごわい問題はカードにして覚えこんでしまう」です。2つ目は「友人に積極的に質問したり、受験の相談をする。友人のテストの点数を下げるような姑息なことはしないで、友人と助け合って勉強する」です。
和田式採用後1ヶ月で友人と協力しながら青チャートⅡ・Bの重要例題をすべてマスターしました。その後は1・2年の授業のプリントのうち、良問と思われる物をすべてピックアップして覚えました。例えば、「cos36°を求めよ」(もちろん誘導問題なし)などは面白い問題です。
和田式採用後2、3ヶ月間は数学漬けの毎日でしたが、12月になるとセンター試験を意識するようになりました。センタープレテストの点数が足切りギリギリの点数だったので、数学1本の勉強は止めました。
難関大を志望する生徒の標語は「センターに気をとられすぎるな」です。私も当初はセンター試験をナメていたので、センター対策にはあまり時間を割きませんでした。センターの問題なら練習しなくても9割くらいはとれると思っていたのです。実際にセンターの予想問題をやってみると、数学、理科は平均9割でしたが、英語、地理、政経は平均8割、国語は平均7割でした。
センター試験の国語は他教科に比べると異常に難しく(私にとって)、危機感をもちました。過去問を隅々まで読解し、知らない古文単語(例えば、「みるめ」、「うなゐ」など)はノートに書いて覚えました。満を持して望んだ2002年度のセンター試験の国語は200点満点中130点未満の点数でした。2002年度の国語を解いたのは、センター試験の前日でした。
今だから打ち明けますが、私はセンター試験1週間前に高校生活史上最悪の風邪をひいてしまいました。しかし、センター試験本番では自己ベストを出すことができました。受験生に伝えたいことは「万が一試験前に体調を崩しても、気にしなければ大丈夫だ」ということです。
センター試験当日は予想外に緊張しませんでした。「頑張ったんだから出来なくても仕方がない」という気持ちになって開き直ったからです。
センター試験後は本格的に赤本を勉強しました。東大の問題はひねくれた問題が少なく、深みがあるので、研究する甲斐がありました。1日じゅう赤本を勉強していたので、赤本が面白いように進みました。1日1日が充実していたと思います。
僕は人生で2つ入試を経験しました。慶應義塾大学入試と東京大学入試です。試験当日の雰囲気を書くので参考にしていただければ幸いです。
慶應大入試の当日の朝は、駅で栃木県では考えられないほどの人ごみに遭遇しました。気持ちは落ち着いていましたが、体は正直でした。駅を出るとすぐにお腹をこわし、自分でも驚きました。試験会場に到着して周りの人を見ると、見るからに頭のよさそうな人がたくさんいました。さらに緊張した私は最後のテスト(英語)の直前に発熱さえしました。初めての大学入試ということもあり、1日じゅう周りに圧倒された1日でした。
東大入試の当日の朝は、東京の人ごみには慣れていました。校内に入るまでの道では、各予備校や東大のサークルの一部がビラやキットカットやティッシュを配っていました。校内に入ると、試験教室がわからないので迷いました。運よく親切な大学生が私を教室まで案内してくれました。彼は素朴で優しい人でした。私が緊張しているのではないかと心配して次の言葉をかけてくれたのです。「なんか、リスニングの音が籠ってて、全然聞こえなくて、勘で埋めたら全部間違ってて・・・・・それでも受かるんだよ。」彼の言葉は実体験に基づいているので、とても説得力がありました。彼のおかげで、私は試験中に緊張することなく入試の2日間を過ごせました。 試験教室について周りを見渡すと、慶應大入試の日より頭の良さそうな人がたくさんいました。私は慶應大入試にも増して周囲に圧倒されてしまいましたが、不思議なことに全く緊張しませんでした。私は「落ちても受かっても高校生活は充実していたと思う。最後の試験は楽しくやろう」と開き直っていました。
謝辞
ここで改めて謝辞を述べたいと思います。3年間担任を務めて下さった染野先生、多方面でのご指導ありがとうございました。川俣先生には個人的な要望を受け入れて政治経済や小論文を指導して下さったことを感謝します。貴重な蔵書を貸して下さった綱川先生、ありがとうございました。英進科創設以来、英進科の発展に尽力されてきた牧島先生、今後も英進科の更なる発展を心よりお祈り申し上げます。また名前を挙げることのできなかった英進科の先生方、3年間本当にお世話になりました。
東北大学 農学部
はじめに
皆さんこんにちは。今回受験体験記を書かせていただくことになりました。拙い文章ですが、私の体験からひとつでも得るものがあれば幸いです。
入学前からセンター直前まで
夏の一日体験学習で、牧島先生の「まじめがかっこいい世界」という言葉に衝撃を受けたと共に、この学校なら私の夢をつかめるかもしれないと思いました。入学して、私は自分のクラスに入りました。皆頭がよさそうな人ばかりでした。実際そうで、皆明るく楽しいクラスになりました。私の低い運動能力を個性だと言って認めてくれました。休み時間に勉強していても茶化されることはなく、むしろ周りも勉強しているという最高の環境でした。私はここでなら夢を実現できると確信しました。もし私が別の高校に進学していたら、中学の延長だったかもしれません。私は文星に入学できて本当に良かったです。また理解してくれたクラスメイトにも感謝しています。
高一のとき、私の志望大学は筑波大でした。文理選択の時、私は迷わず理系生物にしました。理由として私は生物に強い興味があり、大学でも学びたいと思っていたからです。理系物理と比べて理系生物は就職する際に選択の幅が狭くなると言われていますが、それでも私は生物を選択しました。私はこの選択に後悔はしていません。
しかし高二になると、変わらないクラスと春の陽気で私は気が緩んでしまいました。やる気を出そうとしても怠けてしまう自分に嫌気が差していました。夏になり、クラスメイトは各大学のオープンキャンパスに行きました。この怠惰を正す良い機会だと思い、私も筑波大と東北大を見学することにしました。筑波大では英進科卒の先輩が迎えてくださり、キャンパス内を案内してくださいました。その時の先輩の顔を見て、私はまたやる気が出てきました。一方東北大は親からの薦めであり、正直乗り気ではありませんでした。しかし実際に見学すると、東北大学の雰囲気と研究内容に強く惹きつけられました。私は遺伝子等ミクロな分野に特に興味があり、東北大ではその研究も盛んでした。その結果やる気が出てきましたが、同時にどちらの大学に行くべきかという迷いも現れてきました。悩んだ結果、東北大にしました。しかし頭のどこかでは筑波大への思いがまだ残っていたのも事実でした。
高三になると、クラス分けが行われました。私は国公立理系志望の1組に入り、気持ちを新たに頑張りました。そして夏、再び東北大のオープンキャンパスに行きました。今度は学校の先生と共に行ったのですが、新たな発見もあり、改めて東北大入学への意欲が湧きました。また初めて東北大オープン模試を受けました。周りは頭が良さそうな人が大勢いて、緊張しました。そして結果が返ってきて、衝撃を受けました。まず数学では完答できたと思っていた問題で減点がありました。また英語は和訳がまったく点になっていませんでした。生物も同様に論述で全く点をもらえず、化学に至っては書き方が誤っていて失点していました。私は悔しさをバネにして次の東北大オープン模試で巻き返そうと勉強しました。そして試験当日、二度目とあってか、私は少し落ち着いて試験に臨めました。肝心の結果は、生物が良くできており、英語・化学も改善していました。しかし一方、数学はひどい結果でした。牧島先生からは「気にすることはない、落ち込むな。」と言われたので、今までの勉強を続けていきました。そして12月、私は勉強をセンター対策に移しました。クリスマスに正月、私は勉強ばかりしていました。今思うと、センター試験前のやる気はものすごかったです。1月5・6日のプレテストでは十分な結果が残せ、自信につながりました。
終わりに
私は多くの先生方にお世話になりました。二年間担任をつとめて下さった菊地先生と一年間担任をつとめて下さった福田先生、多方面からのサポートありがとうございました。三年間化学を教えてくださった梶川先生、東北大オープンキャンパスの時同行してくださったことを感謝しています。朝ゼミの古内先生、朝早くからご指導ありがとうございました。生物の佐藤先生、英語の野口先生と安達先生、二次対策を一緒にして下さりありがとうございました。数学の藤田先生、個別にセンター対策をして下さったことを感謝しています。参考書を紹介して下さった国語の高橋先生、深い知識を伝授して下さった国語の隅内先生と地理の阿久津先生、そして名前を挙げることができなかった英進科の先生方、人としての教養を楽しく教えて下さった美術の中山先生、家庭科の大山先生、体育の先生方、学校でお世話になった方々にとても感謝しています。三年間応援して下さりありがとうございました。
在校生の皆さん、文星は勉強する環境がよく整っています。文星で勉強できることを誇りに思って下さい。私も三敬精神とライオン主義を忘れずにこれから頑張っていきます。
最後に文星の皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げて私の駄文を終わらせていただきます。