星が丘中学校出身 山梨大学 医学部 医学科 現役合格

はじめに

  •  私は文星での3年間を非常に有意義に過ごすことができました。高校受験のときにやっと300点取れるくらいの学力しかなかった自分が現役で医学部に合格できたのは文星の先生方、友人、そして家族の支えのおかげだと思います。本当にありがとうございました。
  • これから勉強をするようになった経緯、中学時代、文星での3年間について後輩のために少しでも役立てればと思い書きたいと思います。
  • 中学時代、部活をやるためだけの生活をしていたと思います。朝練を気合入れてやり、授業中に寝て体力回復、そして放課後の部活とその後のクラブに備える、という感じです。もちろん授業でなにをやっているかなど全くわからず、どんどん勉強がきらいになっていきました。勉強なんて「ダサい」とさえかってに思ってしまっていたと思います。結局受験前も勉強をほとんどやらず担任の先生にすすめられた文星に幸運にも合格できたのでそこでいっかという感じでした。それだけ勉強に対する意識は低かったです。
  •  それがなぜ勉強をする気になったかというと、春休みにこのままではダメだという思いでいたときに、友達の家にあった「ドラゴン桜」という漫画を偶然読み、私自身が漫画やドラマの影響を受けやすく、HEROというドラマを見ては検事になろうと思ってしまうような単純な性格だったため、主人公が1年で東大に行けるなら自分には3年あるんだから余裕じゃん、じゃあどうせ勉強するなら一番のとこにしようという感じです。でもそのおかげで最初から諦めるようなことをせずにすんだと思います。なのでとにかくどんな難しいとこでも絶対に受かると思い勉強することがまず大事だと思います。
  •  1年のときはとにかく言われたことだけでもこなそうという思いで予習・復習に力をいれました。特に英語。単語が全くわからない。be動詞って何、という状態だったので、けど朝ゼミはどうしても起きられず挫折しました。
  • 国語はあまりやりませんでした、なんとなくできそうだからという勘違いのおかげで、そのせいでクラス替えのとき補習をうけなければならないくらいでした。
  • こんな状態でも思い込みのおかげでやはり東大にはいけるだろうと勝手に思っていました。
  •  2年のときは雪野先生に頼みクラスをかえてもらいました。最初はついていくことに必死でしたが、多少余裕ができると次第に気が緩みうまく勉強ができなくなりました。この頃から受験科目というものに意識がいき、自分に関係ないと思われる教科(とくに世界史)を捨てるという間違いをするようになりました。捨て教科をつくっても他教科の勉強時間が増えるわけでもなく、それどころかゲームに費やす時間が増え、全体の勉強時間が減り成績は思うように伸びなくなっていたと思います。牧島先生との面談などをし、なんとか捨て教科をなくすよう意識するようになりましたが、この間の授業を無駄にしてしまったことは唯一後悔です。捨て教科をひとつつくってもたいして勉強時間には変わりはないと思います。勘違いしていた自分が言っても説得力はないかもしれませんが、全教科頑張り総合力をつけることが最後の最後で役立つのだと思いました。
  •  冬休みあたりからは毎日研修センターに朝から晩まで残り勉強するようになりました。ひとりで勉強するのは得意ではなかったので、研修センターは自分にとっては良い環境でした。利用したことがない人は一度でも行くといいと思います。周りのひとが勉強しているのを見ると焦りが出ると思います。
  • そうして3年、新しくクラスがかわりよりいっそう勉強にたいして真剣になりました。それでも判定は常にE,Dでしたが、絶対に自分は大丈夫だと思い勉強を続けました。
  • 次第にセンター模試の結果も良くなっていき、毎回自分が勉強していることが身についてる実感があり充実していました。
  • ただ地理が抜群にできず、どこから手をつけていいか、教科書をやるようにアドバイスされても量が多すぎて手が回らない。そんな状態でいるとき、牧島先生に「ここまできたら地理は仕方ない。授業だけでも聞きな、全体でみたら差はほとんどつかない」と言われ吹っ切れ、他教科でのミスをなくすような勉強をするようになりました。
  • センター前は東大の赤本(主に数学、すこし英語)とセンター用問題集をやっていました。
  •  センター前は緊張はほとんどしていませんでしたが、当日はミスできないという恐怖からか緊張で手が震えました。
  • センター後はひたすら赤本、友達とひとつの問題を考え意見をだしたりしてとても楽しかったし、よく進みました。けどこの頃はこれまで絶対大丈夫だと思っていたにもかかわらず、落ちる不安で夜眠れないときもありました。

受験について

・慶應大学

  •  東大の過去問が終わりそうもない不安から過去問をやらずに受けてしまいました。結果は撃沈、落ちたとすぐわかりました。それでもすぐきりかえました。

・東京大学

  •  やる予定だったものがすべて終わらず不安もありましたが、自分が勉強してきたことを信じて受けようと思いました。1日目、朝早くにいき門のすぐそばに並びました。おかげで大量の受験生を見て緊張することはなかったです。門には予備校の先生などがたくさんいたり、変な人(おそらく東大生)が寝袋に入った状態で門のところに寝ていて、急に起き上がり予想問題を配ったりしていました。奇妙な人でした。
  • 1日目が終わり旅館では気持ちを切らさないように理科の確認をしていました。
  • 二日間やるだけやったとは思いましたが、数学では間違いを見つけ目標にぜんぜんとどかないと思い、一瞬絶望しました。が無理だと思いすぐに後期にきりかえました。
  • 3月10日結果は不合格でした。

・山梨大学医学部

  •  前期の後すぐに過去問を解きはじめました。すると東大の過去問をやっていたおかげですごく易しい問題に感じられました。特に、得意な物理化学数学で受けられるのが大きかったと思います。
  • 試験前日は車で行く途中に地震が起こり、山梨に着いたあとに延期だと知らされ、とても大変でした。それでも気持ちを切らさずに試験日まで勉強できたのは良かったと思います。
  • 試験当日は完全にふっきれ、落ちても1年浪人するだけだ、精一杯やろうという感じでした。
  • 私が受験でうまくいったと思うのは気持ちのきりかえです。私の場合は半ば開き直りでしたがそれでも良かったと思います。
  •  受験は本当に気持ちの勝負だとおもいます。常に不安だし。でもみんなそうだろうなんて思ったりするとだいぶラクになると思います。3年のときは特に不安だと思いますが頑張ってください。
  •  最後に、1年のときの雪野先生、2・3年のときの梶川先生。また東大の国語を指導して下さった竹内先生、隅内先生、わざわざ自分の面接のために細かく指導してくださった牧島先生。物理の増田先生、数学の石川先生、英語の野口先生、古内先生、染野先生、名前を挙げられない英進科の先生方。本当に3年間お世話になりました。勉強だけではなく人間として多少は成長できたと思います。文星での3年間を生かして大学でも精一杯がんばります。

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